三原屋

三原屋

味噌・醤油 / 長野県長野市

「生きている発酵菌」を、次の世代へ。

江戸時代から170年以上、
善光寺のお膝元にある醸造蔵

信州善光寺の西界隈、かつて交易の要所であった「櫻小路」の一角に、三原屋の醸造蔵があります。創業は、嘉永元年(1848年)。現当主の河原清隆さんは6代目として、170年以上続く三原屋の商いを守りつづけています。

三原屋が事業の柱とするのは、自家醸造の「仕込みそ」と「火入れ醤油」。全国でも珍しい、職人の技術によってつくられる少量生産の味噌と醤油は、「市販の製品には戻れない」という多くのファンに支えられています。

伝統製法でつくられる味噌の最大の特徴は、
「発酵菌が生きている」こと。

「発酵菌が生きている味噌は、熟成させる場所によって、味も色も全く異なるものになるんです。これは、その空間に元々棲んでいる菌が、味噌の発酵菌に作用するから。さらに不思議なことは、自分の家で熟成させた味噌がいちばん美味しく感じられるらしいのです」

河原さんによれば、味噌は時とともに変化する「生き物」。かつて、味噌は各家庭で仕込まれるものであり、同じ原料・同じ手順で作っても、熟成させる「家」ごとの味があったといいます。また、自分の家の味噌が誰でもいちばん美味しく感じられることから、「手前味噌」という言葉が生まれたのだとか。

立春前に仕込んだ味噌を、その年の秋から食すのが「二年味噌」。さらにもう一夏を超えて食べ始めるのが「三年味噌」と呼ばれ、昔は赤づくりの三年味噌が最も好まれたそうです。

こうして、「生きた発酵菌」と同じ空間で暮らし、発酵菌によって分解されたその他大勢の微生物を食すことが、健康づくりに欠かせない昔ながらの食の知恵だったのです。製薬会社の研究員だった河原社長は、その働きを現代風に「食べるワクチン」と説明します。

もうひとつの「火入れ醤油」は、江戸時代から伝わる醤油づくりの基本、「一麹(いちこうじ)、二櫂(にかい)、三火入れ(さんひいれ)」の原則を忠実に守ってつくられたもの。

1950年代にはほぼ100%だった桶火入れ醤油は、今では1%にも満たないほど稀少になり、三原屋の醤油がプロの料理人から圧倒的な支持を得ていることも頷けます。

「身土不二」の大切さを
発酵食品を通じて伝えていきたい

三原屋は、どの時代にも生産規模を広げず、明治32年(1899年)に米蔵を改築してからは、自家醸造の味噌・醤油に専念してきました。その経営を、学生の頃の河原さんは、「なぜこんな時代遅れなことをしているんだろう」と感じていたそうです。

大学では石油化学を研究し、製薬会社に就職した河原さんに転機が訪れたのは、1990年代のこと。最先端医療の現場で働く医師に話を聞いたことがきっかけでした。

「患者さんは、家族の差し入れの手料理を食べて元気になるのでは? とその先生は話されたんです」

当時、「雑多な微生物と頻繁に接することによって、免疫細胞の暴走が抑えられている」という研究報告に興味を持った河原さんは、この医師の言葉から、いつも身近にあった手づくりの味噌・醤油、そしてそれを使った手料理こそが健康をつくるのではないか、と原点に戻るに至ったと話します。

河原さんが食の大切さを伝える上で欠かせないのが、「身土不二」という言葉。これは、身近な場所で採れた旬の食物を取り入れることが健康に良い、とする食養思想のキーワードです。

「現代は、身土不二ではなく、“身土分離”が進んだ時代になったのかもしれません。人の健康は、環境とつながることでつくられます。発酵食品は、人の体が地球上のネットワークのなかで生かされていることを教えてくれるもの。信州の小さな醸造蔵ですが、伝統的な食の大切さを、これからも伝え続けていきたいです」

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三原屋

長野市・善光寺の西界隈で、嘉永元年(1848年)より味噌・醤油をつくる醸造蔵。代々、生産規模を広げず、「身土不二」の理念のもと、自然に即した食の大切さを発信しつづけている。

三原屋
住所:⻑野県長野市⼤字⻑野桜枝町881番地
TEL:026-234-2041
http://miharaya.co.jp/

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